東京出張

普段は宇都宮市と那須塩原市の店舗で仕事をしていますので、あまり県外に出かけることもないのですが、先日、家庭と仕事の都合がマッチしたので東京・千葉方面に行ってきました。

幕張メッセのIT・DX展示会

都内で用事を済ませて、その後、幕張メッセで開催されていた『Japan IT Week 秋』という総合展示会場へ。
最新のIT・DXの世界をチラ見するくらいの気分で行ったのですが、やはり、ネット上にあふれる膨大なデータを活用したAIのような大規模言語モデルの進歩には圧倒されます。

出展企業のスタッフたちの熱量も相まって(会場内をぶらぶら歩いていると、”お茶ありま-す””お菓子いかがですか?”などといったお声が前後左右、各ブースからかかります。いただきものをしただけで通り過ぎるのは至難の業です)、IT技術が切り開く世界の未来像を感じずにはいられませんでした。

遠くない将来、言語によって表現できる人間の知性はすべてAIによって理解され、いずれはそれを凌駕していくのでしょうか?

便利でも不便でも、どちらでもOK

2,3時間、会場で過ごし、すっかり疲れ果てた脳とパンパンになったふくらはぎをかかえ、帰りの新幹線に乗って、やっと少しホッとしました。

そして、都心を抜け、外の景色が少しづつ田園風景に変わっていく様子を新幹線の窓から眺めながら、こんなことを考えました。

『自分は、人生が便利でも不便でも、どちらでもOK』

ものごとにも依りますが、あえて不便を求めたりはしないですし、便利なものをかたくなに拒否するつもりもないです。

10年ほど前の冬、夜の東北自動車道を北上しながら、ふと、『家に帰ったら、ちょうどいい湯加減でお風呂が沸いていたら、すごく良くない?スマホで遠隔操作してさ。もうすぐそうなるよ。今頃、誰かがそんなお風呂を開発しているはず』と、同乗者に言ったら、『あなたは人間として退化し始めている』と、注意されましたが、私はそんな感じで思って生きてます。(彼女は、今でもスーパーのセルフレジにあらがおうとしています。)

『人生は不便だが、それだけで不幸ではない』

そう、ヘレン・ケラーは言ったと思われているようですが、実際は、『発言や行動からして、そう考えていたのではないかと思われる』と考えるのが妥当なんだそうです。

いずれにしろ、子供たちがお世話になった保育園の園長先生が、私たち保護者に向けてこの言葉をよく引用されていました。今でも、ひたすら慌ただしい子育て中に、気持ちが少し和らいだのを覚えています。

ならば、『人生、どんなに便利になっても、それだけで幸福になれるわけではない』のも真実。

最近のAIの発達や、もっと広い意味での科学技術の進歩の方向性に対してあらがう気持ちがないわけでもないですし、何かしらの倫理的な規制がしばらくは必要でしょうが、人類は決して進歩をあきらめませんし、進化せずにはいられない生き物です。

長くなりましたが、ChatGPTやらSEOやらLLMOやら、省略アルファベットを多用する系の仕事に取り組む時は、自分は便利さを追求しているのであって幸福を追求しているのではない、と自覚することが私には必要です、というお話しでした。

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